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長生きは本当に幸せか、呆けた母を見ながら考えてみた

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長生きをめでたい!とか、褒めたたえるのは、もう、そろそろ終わりになるんじゃないかと思う。

呆けた母を見ていると、楽しみもなく、意欲もなく、ただ、目が覚めて、ご飯を食べ、則されて歯を磨き、昼ご飯を食べ、、、と、ただただ、生命維持のための一連の行動をこなしているだけ、のように思えるのです。

もちろん、母が生きていてくれるだけで、自分の心の支えがあるから、私としては、生きていてほしいと、心から思うのですが。

でも、母は実際に本当に幸せなのかな、と、問われると、「無理やり長生きさせられている」のではないか、と感じることも多々あって、とても複雑な気持ちになる。

もしかして、4月に倒れたあの時、そのまま逝ってしまっていたら、その時は、私は悲しくて、苦しくて、辛くて、切なくて、どうにかなるかもしれないぐらい、泣き暮れていたと思うけど、でも、母は、そのほうが幸せだったんじゃないかな、、と。

おむつをつけ、座って、しゃべりながら、おしっこをして、うんこをして、それすら、自分で排泄したことすら分からなくて。

うんこをして、垂れ流して、綺麗に拭いて、新しいおむつをつけて、3分もたたずに、またうんこを垂れ流す、、。なんだか、生きているのか、生かされているのか、分からなくなる。

長生きは幸せ?
自分で自分のお世話ができる長生きは幸せなんだろうな、きっと。
母のようになってしまったら、自分で幸せを感じているとは、正直思えない。

でもね、生きていてくれるだけで、私は幸せを感じてるから。

そうか、私のために、母は長生きしてくれているんだ、そう感じた、夏の暑い夜でした。

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