健康

認知症が進んだ母を自宅で面倒を見ることを諦めたけど、一緒にいたい。

更新日:

ずっと元気だったので、まさか、ここまで認知が進むと思ってなかった自分が甘かった。

心臓が悪くなって、入院して、奇跡の復活!と、思ったのは、単に自分の都合のいい解釈で、1日1日、どんどん体が弱っていく母は、たぶん、もう、ほとんど何も分かってない。

朝食のパンに大好きなブルーベリーのジャムを塗って、「はい、パン焼けたよ」とお皿を出す。

「どうしたらいい?何?どうするん?これ?どうしたらいいん?」と、食べ方も忘れてる。

「これなー、パン。お母さん、好きやん?これ、持ってなー。口に入れて食べたら美味しいよー」

と、手にしたパンを、これまた「ほんで、なっとうするん?(どうするん?)」

「はい、それ、口に入れて、もぐもぐしたら美味しいよー」

という、会話をしながら6枚切りを6等分にカットしてブルーベリージャムをタンマリ塗った食パンを全部食べ終わるころには、パンは冷めて硬くなってます。

食べ終わってしばらくすると「おしっこ行きたい」「おしっこどこ?」と、切なる訴え。

わずか、数メートルにも満たない距離を、手を添えて、誘導しながら歩くのだけど、これが本人には相当辛いらしくて、「しんどい、あー、しんどい、怖い、しんどい」の連発。

トイレにいっても、どうしていいか分からず、ズボンも下着も下ろすことすら分からない。

でも、本人は何とかしたい、って思っているから、ひたすら「どうしたらいいん?どうしたらいいん?」と聞く。

そういうことを1日中繰り返していると、家でこのまま生活することが、果たして母にとって幸せなのか、と、考えてしまう。

健康であれば、住み慣れた家が一番、という考えは賛同できる。

けどね、足腰が弱くなり、立つのもしんどい。つらい。怖い。

そんな中、わずか、2-3メートルのトイレまでの距離、段差のある中、トイレに1日に何回も往復させるのは、どうなんだろう?って。

住み慣れた家で最後まで暮らしたい、という気持ちは尊重したいし、そうしてあげたい。

けれど、こんな不自由で辛い思いをさせるなら、常にサポートしてくれる人がいて、車いすが使える場所で、お風呂も安心安全に入ることができるなら、施設にお世話になる、という選択をしても、間違いではないのでは?と考えたりする今日この頃。

きっと、親の介護に直面している人が持っている「住み慣れた家で最後まで暮らしてほしい」という気持ち。

もちろん、そうだけど、親の体の状態を考えると、住み慣れた家にいることが幸せとは言い切れないと感じてしまう。

施設に預けることに罪悪感や、自分を責める気持ち、親に対して可哀そう、申し訳ない、と思う気持ちが強い人ほど、何とか家で過ごしせるようにしてあげたい、って思うんじゃないかな?

でも、親はもう、そんなことも分からなくなっているワケで、ならば、身体の負担を考えて、施設にお世話になることは悪いことじゃない、と思う。

こんなことを書きながら、言い訳だよなーって思う自分。

どうなんだろう。何が一番いいのか、もう、分からない。

きっと、介護に直面している人が、思っているだろうな「何が一番いいの?」ってことを。

-健康

Copyright© 日々是空なり それって、本当に必要? , 2019 All Rights Reserved Powered by STINGER.