親が呆け始めた時、どうするべきか?今思えば、イライラのピークは呆け始めだった。

老人ホームの印象って、あまりよくないです。私の印象ですが、「姥捨て山」って感じがなきにしもあらず、かな?

産まれて、育って、死んでいく、みんな必ず死ぬけど、最後の死に方は自分では選べない。

うちの母は、80歳になっても元気で、足腰も丈夫で、坂道も普通に自分で歩いて、周囲から「歩くの早いねー」「いくつ?え?80過ぎてるの!?」なんて、しょっちゅう言われてました。

だから、「呆ける」なんて、まったく想像してなくて、きっと、元気なまま、眠るように静かに穏やかに逝くのだろうと、思ってました。

が、、たまに帰る実家の様子がおかしくて、

「なんで冷蔵庫に冷凍したお肉が入ってるの!?ドリップしてるやん!もう捨てなあかんやん!」

とか

「なんで、ラフランスを冷凍庫に入れるん!!せっかく美味しいの買ってきたのに、台無しやん!」

とか

よく、まぁ、腐ったもの食べておなかを壊さなかったなぁ、と思うぐらい、冷蔵庫と冷凍庫の中身はすごいことになってました。

履いていた汚いパンツが、洗濯した綺麗なパンツの引き出しに突っ込まれていた時は、衝撃でしたね。汚いし、臭い。

モノが捨てられない人だから、物の量は多いけど、基本は綺麗好きだから、きちんと畳んでしまっていたのに、、。こんなところに汚れたパンツ、、って、もう、唖然、呆然でした。

思い返せば、呆けだした頃が一番イライラしてました。

なにせ、「うちの親は大丈夫」って心の中で思っていたから、何でこんなことするねん!って、本気で腹が立つし、イラつくし、親に当たり散らすんですよ。

「なんでこんなことするん!」って、大声で罵詈雑言の連打です。

今考えると、本人は自分でやった記憶がないから、一方的に責められてもどうしようもなくて、辛かっただろうと思います。

本当に、「お母さん、ごめんなさい」という心境です。

呆け始めた時は、本人はもちろん、周囲の動揺も大きいし、準備ができてないから、戸惑いまくるんですよ。

だから、イライラもすごいし、もう、ほんと、頭が炸裂してました。

親が呆け始めて、イライラしてきたら、それは、「あ、呆けてきた。対応策を考えねば」って、頭を冷静に切り替えないとダメですね。

親を責めても、何もいいことはないです。

親も自分も、むなしくなるだけ。

呆け始めが一番つらくて、心がついていかないから、「なんで?」って思わず、「きたな、ボケが来た!」って、迎え撃つ準備に入ろうね。

そりゃ、もちろん、ここで頑張ってボケが治ればいいけど、、たぶん無理だし、、ボケを治そうとする、その労力はきっと報われないから、他のことに注入した方がいいと思う。

そう、呆け始めが、一番つらい、、、です。


呆けた親を施設に入れることは自分を責めるほど悪いことなのか?

今日、母が小規模多機能でお世話になってる施設に行きました。うんこはもらす、おしっこの回数が異常に多い。自分でおしっこに行ければ、それは、まぁ、問題ないけど、一人でトイレに行けないことも多く、その都度、部屋から玄関やら、リビングと、トイレをよたよたの足取りで探し回ります。

時には、四つ這いになって、時には、腹ばいで。

そんなこんなで、一緒に過ごすには無理があるし、せっかく小規模多機能を利用しているんだから、沢山泊まらせていただこくことにしたのでした。

母を送り、ほっと一息つきつつ、何とも言えない、やるせない、よどむ胸中、何とも表現しがたい、罪悪感が押し寄せて、心の中はわさわさとした毛むくじゃらの未知の動物が騒いでいます。

老親を施設に預けることに抵抗を感じる人は多いと思うけど、その抵抗感や罪悪感はどこから来るのだろうか?と、考えてみました。

今まで育ててくれた親を「姥捨て山」に捨てるようなもんだ、とか。自分の親は自分で面倒を見るべき、という古い慣習に縛られてるとか。

でも、やっぱり根本は愛情だと思うのですよ。

産んでくれて、育ててくれて、ありがとうって、想いがある。

そんな想いの対象を「他人に預ける」ってことに、重くのしかかる罪悪感。

でもね、よーく考えてみたんだけど。呆けてしまって、うんちは垂れ流し、おしっこは自分で行けない。それって、ある種の病気なんですよ。

元気なお年寄りもいるわけだし、呆けるっていうのは、認知症っていう「立派な病気」なんです。

病気の人を自宅で面倒見るより、病院に入院して、プロに任せる方がいい、というのは当たり前でしょ。

だから、呆けたり、アルツハイマーだったり、手足が不自由になった親を施設に預けるのは、病気やけがをした人を入院させるのと同じこと。

そう考えると、ちょっと気分が落ち着きません?

私は、こう考えるようになって、ちょいと心のささくれ立った角っこが、丸みを帯びた気がします。

定期的に歯医者に行くと、結局お得ってことに気付くべき

かれこれ、もう20年ぐらい、同じ歯医者に通ってます。

虫歯はすでに治療済。半年に1回ぐらい、歯医者さんからハガキがきて「定期健診の時期だよー。いらしゃーい☆」ってお誘いがあるんです。

歯医者って、苦手な人が多いですね。痛いのを我慢して、我慢して、我慢して、そして、最終的に我慢できなくなって、やっと歯医者に行く、という人。

こういう人って、一番損してます。

治療が難しくなるから、歯医者さんも大変。受診する患者側としても、痛いし、治療期間は長いし、治療代も高い。

なんで、もっと早く行かないのか、と不思議です。

ま、歯医者って痛いし、怖いイメージありますからね。

私は痛くなくても、定期的に検診してもらっているおかげで、1回あたりの診療代は3000円ぐらい。3割負担で3000円だから、1割負担の人は1000円ぐらいです。それが、年に2回だから、ほんとリーズナブルです。

定期的に歯医者に行く人はまだまだ少ないらしいけど、ほんと、定期検診を自分の生活スタイルに組み込むべきです!

そういえば、歯医者って最後に行ったのはいつだったかな?って人は、「今、特に痛くないんですが、予防と検診のため、見てもらいたいんです」って電話して、行ってみましょう☆

そうそう、歯の裏の歯石を綺麗にしてもらうと、ほんと気持ちい!これだけでも、行く価値がありますよ。

ゴミの分別が本当に必要か考えてみたことある?

やってますよ。ゴミの分別。缶、瓶、ペットボトル、紙、新聞紙、広告、雑誌、、

ゴミの分別が本当に必要か、って?
多分、そんなこと考えずに、「えっと、ペットボトルはこっち。缶はここ」って、決められたとおりに疑問を持たず、やっている人が大半だと思う。

何も、ゴミの分別が面倒とか、そういう小さなことを言ってるんじゃないんです。

「今度から、ゴミはきちんと分けてくださいねー。そうしないと回収しませんよー」という通知がきて「あーそうなんだー、じゃぁ、ちゃんとやらなくちゃ」って、ちまちま、ゴミを分別する。

もちろん、瓶や缶、ペットボトル、古新聞が、リサイクルされるのはいいです。

私が言いたいのは、「決められたことを、何も疑わず、素直に従ってやっていることが、いいことだ、と認識していることに、問題があるんじゃないか」ってこと。

ゴミの分別だとイマイチかもしれないけど、会社で「これは世の中のために必要とされている仕事だから」と言われて、がむしゃらにがんばってみたり、はたまた、「みんな、このやり方で売り上げあげてるんだから、この通りにやらなくちゃ!」って思い込んだり。

疑問を持たず、日々行っていることって多いんですよ、きっと。

まず、疑問を持つ、ってことから始めません??

青汁が体にいいなんて、青汁メーカーの策略だと思う

とかく、「体にいい」って、言葉に日本人は弱いと思う。

もちろん、私も「体にいい」って聞くと、「え!?そうなん!?」って思うタイプです。

が、よーーーく考えると「それは違うんちゃうの?」って思ものもいっぱいあります。

それが「青汁」そう、ケールや、大麦若葉、桑の葉、などなど、栄養豊富な緑の野菜を粉末にして、水に溶かして飲むやつです。

ケールや大麦若葉、桑の葉が体にいいだろうな、ってことは、栄養のこと、詳しく知らなくても、何となく理解できます。

でも、それは、畑なり、自然に育っている作物を収穫して、料理して食べる場合でしょ?

収穫して、高温で処理して、粉砕して、、って、普通に人間が手作業で食べる工程を経てない食べ物に栄養が残ってるって思えないんだけどなー。

もちろん、きちんと栄養が残ってる青汁もあるだろうし、悪いものではないと思う。

けどね、青汁って「加工食品」ですよ。「加工」してるもの。もともと自然にあるものを、手を加えまくって作ったもの。

それを、イメージ戦略で「青汁=体にいい」って消費者に思い込ませてる感じがするんだなー。

青汁飲むぐらいなら、毎日小松菜とリンゴをジューサーで「ガーッ」って回して飲めばいいんじゃないの??

え?そんな時間がないって?

青汁の封を切って、水で溶いて、うーん、10秒?

小松菜洗って、リンゴ切って、ジューサーでガーッとして、5分もかからないんじゃないかな?

5分以上かかったとしても、その分早起きしようよ。

身体にいいって思い込まされて飲んでる青汁より、自分でジューサーで作る青汁を飲む、そんな発想がどうしてできないのかな??

シャンプーをやめてみたら、けっこうヤバイって話

巷では、いや、知ってる人は知ってる、という頭皮ケア。

それが、「ユシャン」そう「お湯シャンプー」です。

シャンプー剤やリンス、トリートメントを使わず、お湯だけで洗う方法で、芸能人のタモリ、福山雅治などなど、実践している人沢山いるんです。

最近、髪が少なくなったし、髪の質も変化があって、細く、柔らかくなってきたな、この調子だと、近い将来、髪がペタンコになるな、、と、不安に思っていたところ。

不要なものは使わない生活にシフトしたい、と思っていたのに、「シャンプー、リンスは、使うもの」と思い込んでいた私。

そっかー、シャンプーもリンスもやめてもいいんだ。使わなくてもいいんだ、と考えると急に気が楽になり、良し!今日はシャンプー使わない。お湯だけで洗う~☆と、早速チャレンジしたのです。

まず、しっかりとシャワーで髪全体を濡らし、そのまま、指の腹で頭皮をマッサージ。

髪を洗う、というよりも、頭皮をしっかりマッサージするイメージでやってみました。

そしたら、、、乾かしている時に、何となく重い感じが、、。

人によっては向かないのかな?私はシャンプーをちゃんと使った方が良い髪質なのかな?と、不安になったんですが、何のことはない、シャンプーよりも大事なのは、シャンプー前のブラッシングらしい!!

それも、普通のブラシではなく、獣の毛のブラシ!

髪の汚れをブラッシングでしっかりとってくれるらしい。

そうか、なるほど。とにかく、いきなりお湯だけで洗っても、重くて若干アブラギッシュな感じになるので、「こりゃ、あかんわ!」って感じですが、きちんとブラッシングすれば、いい感じになりそう。

早速獣ブラシを購入せねば☆

明日死ぬ、と思ったら

「明日、母が死ぬ」分かった時点で、もう、今日は思う存分親孝行するぞーー!優しくするぞーー!って涙ながらに思う。

けど、明日死ぬ!と思って、すべての優しと気遣いを今日、母のために使い果たしたとして、明後日も母が生きていたらどうなるんだろう。

介護が大変なのは、「いつまで続くか分からない」という点が大きいと思う。

例えば、「あと1年」と言われたら、1年の介護生活を想定して、スケジュールを組み、予定を立てて、予算や手段をシュミレーションする。そして、それをこなして1年後に死去。

想定通りにコトが運べば、感情のブレはあったとしても、「よし、がんばった」って気持ちになれると思うんだけど。

「あー、もう、うるさい、何回も同じこと言うし、うざい!」って日々を送っていて、ある日突然、死なれたら、、。

「もっと優しくしてあげればよかった」「なんであんなひどいこと言ったのかな」って、後悔だらけで過ごすことになる。

あと1年なのか、2年なのか、10年なのか。

優しく介護したいけど、できない、つらい、閉塞感を抱えている人、どうしたら、楽しく、大切な人との最後の時間を過ごせるんだろう。

介護は、全員が直面する問題ではなくて、運よく、介護の苦労を知らないまま、親と別れる人もいるんだよね。

でも、最近思うのは、「介護って経験をして、よかったな」ってこと。

人として、少しは成長というか、人の痛みや悲しさ、切なさが分かったし、自分にも人にも、多くを求めなくても大丈夫になった。

もちろん、介護しなくていいなら、それはそれでいいんだろうけど。

私には介護は必須で必然なんだと、思えるようになった。

だから、明日も母が起きたら、思いっきり「ありがとう」って言おう。

そう、ボケてくれたから「ありがとう」「大好き」ってこともストレートに恥ずかしくなく言えるから、ボケてくれてよかったのかもな☆って。

目覚ましより強力ボケた親のウンコの臭いで目が覚めた。

朝4時ぐらいだったか、何か、変な臭いがするなーと、目が覚める。

足元に布団を敷いて寝てる母、、、から、トイレへ続く2メートルそこらの距離に、、うんこが、、点々と、、、。

一気に寝ぼけていた頭がフル稼働。あかん、どういうこと、うんこやん!うんこ!と。とにかく、凄い臭い。クサイ、くさい、えげつない、強烈なニオイ。

まず、トイレから、母までの道のりのウンコを拭く。トイレットペーパーをちぎっては拭き、拭いてはちぎる。

床が綺麗になれば、母を起こす。「あのなー、お母さん、ウンコ漏らしてるで。汚いから洗おうな」と、必死に風呂場まで連れて行く。

ズボンを脱がし、パンツを見ると「ウンコだらけの、ウンコ祭り」若干、ビチくそなので、匂いはもちろん、被害が広範囲にわたっているから、もう、パンツを洗うって選択は捨てて、新聞紙に包んでビニール袋に入れて、硬く縛ってゴミに。

それにしても、ウンコの量がすごい。お尻から、太ももまで、だらだらとウンコがついているのを、シャワーで丹念に流す。

これ、夏でよかった。冬だったら寒いよ。すぐに流れ落ちない大量のウンコの塊!そして、びちびちの水分たっぷりのこびりついたウンコ!

とにかく、ひたすら洗って、綺麗になったかな、、と思っても、なんか鼻が「ん?ウンコ!?」って気づくのだけど。

このウンコの臭いは、風呂場で流れ切ってないウンコに違いない!と確信して、排水溝に洗剤をふりかけ、熱湯シャワーをひたすら流す。

5分ぐらい流して、鼻をくんくんすると、「あ!臭いがなくなった!」となる。

シーツも汚くて、なんか、もう、切なくなった、、、。

ただ、絶対自分には下の世話は無理って思ってたけど、意外とそういう場面に出くわすと、出来てしまうことが分かった。

それも、イヤ!っていう感覚はなくて、「とにかく早く綺麗にしなくちゃ!」という、前向きというか、仕事みたいにとらえて、テキパキ片づける、という感覚が自然とできた。

いやだなー、って思ってることでも、いざ直面すると乗り越えられるもんなんだ、、と悟った6月の朝、、、。

大丈夫と思っていたけど、大人用の紙パンツ、履いてもらうことにした。

日焼け止めを塗らない、という選択をしてみた。

女性なら夏になると必ずと言っていいほど使うアイテムがありますます。

それが「日焼け止め」です。

日焼けが皮膚に悪いのは医学的にも証明されていて、できるだけ日焼けをしない方がいいというのはみんなが知っている通りです。

私自身、日焼けはしたくないので、家にいるときも必ず日焼け止めを塗っていました。

顔はもちろん、手足、首、耳の裏、など服からはみ出ている部分には必ず日焼け止めを塗っていました。

何の疑問も持たずに使っていた日焼け止めですが、屋外のイベントで一日中立ちっぱなしで仕事をすることがあり、いつも使っている日焼け止めよりも強力なものを使いました。

その時になんとなく皮膚が呼吸できないような、苦しいような感覚になり、本当に日焼け止めって必要なのかな、と思うようになりました。

個人的には、日焼けはしたくないですし、肌の劣化を 防ぎたいと思っています。

けど、肌の劣化を防ぎたい、綺麗な肌でいたい、と思っているのに、日焼け止めを塗ることでかえって肌を痛めているとしたら本末転倒ですよね?

じゃあ、日焼け止めを塗らなくても、日焼けしないような方法を考えた方がいいんじゃないのか?というわけで、日焼け止めを塗らずして、日焼けしない方法を考えました。

まず、日焼けって、文字通り、「日に焼ける」ってことです。

日焼けすると肌が黒くなりますよね?焦げるって感覚かと思うんです。

これ「火に焼ける」と解釈すると、料理するときに、フライパンで焼くと「火で焼く」ってことなります。

例えば、水を入れて蒸し焼きしていれば焦げません。でも、水が蒸発してなくなると「焦げます」

そう!肌も一緒で、そのまま日光にさらせば「焦げる」つまり「日焼けする」けど、水分を十分供給すれば、水分たっぷりで蒸焼きしているお鍋が焦げないと同様、肌は焦げない、つまり焼けないのではないか?と思ったんです。

なので、最初は、霧吹きに水(普通の水)を入れて、こまめに肌に「シュッシュッ」として、肌の状態を観察していました。

何となく、、、ですが、潤っている感じがして、もしかして、これは、「脱!日焼け止め宣下」ができちゃう!と思ったのですが、、、

炎天下では、こまめすぎるぐらいに霧吹きでシュッシュッとしないと駄目。

これ、ずっと片手がふさがってしまうから、歩きながらだと、かなり大変です。

それに、道を歩く人に「何?この人?」って変な目で見られますしね、、、。

でも、肌に水分を補給して、「焼かない」という発想は十分ありだと思うので、今後も「肌に水分補給」は続けます。

何かしたら、効果がでれば、日焼け止めから卒業できるし、肌の呼吸がしっかりできるようになれば、それこそ、ほんと、肌が元気になると思うのです☆